誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第1号 | 1986(昭和61)年4月30日 | |||
江川辰夫 | こだまの如く | 1 | 1986(昭和61)年4月30日 | ||
松尾ただし | 先づは出発進行! | 1 | 1986(昭和61)年4月30日 | ||
江川辰夫 | part1作品10首批評 | 2 | 1986(昭和61)年4月30日 | ||
松尾ただし | part2作品10首批評 | 4 | 1986(昭和61)年4月30日 | ||
江川辰夫 | part3作品10首批評 | 6 | 1986(昭和61)年4月30日 | ||
松尾ただし | part4作品10首批評 | 8 | 1986(昭和61)年4月30日 | ||
特別付録・最近の入選歌 | 10 | 1986(昭和61)年4月30日 | |||
あとがき | 10 | 1986(昭和61)年4月30日 | |||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第2号 | 1986(昭和61)年7月30日 | |||
藤志津乃 | 『参加のことば』 | 表紙裏 | 1986(昭和61)年7月30日 | ||
江川辰夫 | 『藤さんのことなど』 | 表紙裏 | 1986(昭和61)年7月30日 | ||
江川辰夫 | part1作品9首批評 | 1 | 1986(昭和61)年7月30日 | ||
藤志津乃 | part2作品9首批評 | 4 | 1986(昭和61)年7月30日 | ||
松尾ただし | part3作品9首批評 | 7 | 1986(昭和61)年7月30日 | ||
勉強室 | 10 | 1986(昭和61)年7月30日 | |||
松尾ただし | あとがき | 11 | 1986(昭和61)年7月30日 | ||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第3号 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
江川辰夫 | 【積極的に挑戦】 | 1 | 1986(昭和61)年12月30日 | ||
藤志津乃 | 新しい年に | 1 | 1986(昭和61)年12月30日 | ||
江川辰夫 | part1作品6首批評 | 2 | 1986(昭和61)年12月30日 | ||
藤志津乃 | part2作品6首批評 | 4 | 1986(昭和61)年12月30日 | ||
松尾ただし | part3作品6首批評 | 6 | 1986(昭和61)年12月30日 | ||
県短アンケートについて | 8 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
@ズバリ!入選した私の選歌 | 8 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
A無念!見のがした一首 | 10 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
B選者の作品から好きな一首をあげる。 | 11 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
アピール 歌碑を建てよう | 12 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
あとがき | 裏表紙 | 1986(昭和61)年12月30日 | |||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第4号 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
江川辰夫 | 作歌も批評も真面目に | 1 | 1987(昭和62)年2月28日 | ||
藤志津乃 | part1作品6首批評 | 2 | 1987(昭和62)年2月28日 | ||
江川辰夫 | part2作品6首批評 | 4 | 1987(昭和62)年2月28日 | ||
松尾ただし | part3作品6首批評 | 6 | 1987(昭和62)年2月28日 | ||
松尾ただし | 勉強室 作歌と文章力 地方歌壇においての努力など | 8 | 1987(昭和62)年2月28日 | ||
西日本短歌大会アンケートについて | 9 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
@あなたの出品作品の自歌自注 | 10 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
Aズバリ!入選した私の選歌 | 11 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
B無念でした見逃した一首 | 12 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
C選者の作品から好きな一首をあげる | 13 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
「こだま」第三集に寄せられたご意見など | 14 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
あとがき | 裏表紙 | 1987(昭和62)年2月28日 | |||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第5号 | 1987(昭和62)年5月10日 | |||
江川辰夫 | 『反論はしない』 主として歌会のあり方について | 1 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
松尾ただし | これより江川作品六首批評 | 2 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
江川辰夫 | 山口県短歌五月号目次わき巻頭評より | 4 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
松尾ただし | これより松尾作品六首批評 | 5 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
松尾ただし | 私の歌 | 7 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
本誌特集 | 8 | 1987(昭和62)年5月10日 | |||
中田輝子 | 時我にかえりぬ | 13 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
松尾ただし | 『否定の美学』 | 14 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
松尾ただし | あとがき | 裏表紙 | 1987(昭和62)年5月10日 | ||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第6号 | 1987(昭和62)年7月25日 | |||
野田智寿子 | 『こだま』参加の弁 | 1 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
野田智寿子松尾ただし | part1作品6首批評 | 2 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
松尾ただし 江川辰夫 | part2作品6首批評 | 4 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
江川辰夫 野田智寿子 | part3作品6首批評 | 6 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
近時いろいろ歌噺 | 8 | 1987(昭和62)年7月25日 | |||
江川辰夫 松尾ただし | 特集 山口歌会・合同歌集『戦争と私たち』を読んで。 | 9 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
江川辰夫 | なぜ短歌を作るか | 15 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
チャンネルひかり | 16 | 1987(昭和62)年7月25日 | |||
松尾ただし | あとがき | 裏表紙 | 1987(昭和62)年7月25日 | ||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第7号 | 1987(昭和62)年11月30日 | |||
江川辰夫 松尾ただし | 野田智寿子作品六首批評 | 1 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
松尾ただし 野田智寿子 | 江川辰夫作品六首批評 | 4 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
野田智寿子江川辰夫 | 松尾佶作品六首批評 | 7 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
稲木正夫 | 入選歌自歌自注「受賞の弁」 | 11 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
酒井綾子 | 入選歌自歌自注「吾が歌、吾が思い」 | 12 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
野田智寿子 | 入選「入賞した歌の自解」 | 13 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
江川辰夫 | 随想「宝物を探すように」 | 14 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
松尾佶 | 随想「県合同短歌大会やぶにらみ」 | 15 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
野田智寿子 | 随想「私の好きな一首」 | 16 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
古閑正隆 | 短歌同好者『くさの会』について | 17 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
松尾佶 | 『あとがき』 | 17 | 1987(昭和62)年11月30日 | ||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第8号 | 1988(昭和63)年3月15日 | |||
田中忠雄 | 光市の水準は高い−ますますの精進を | 1 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
新聞に出た江川さんの素顔(日刊新周南より) | 2 | 1988(昭和63)年3月15日 | |||
江川辰夫 松尾佶 | 野田智寿子作品六首批評 | 3 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
松尾佶 野田智寿子 | 江川辰夫作品六首批評 | 7 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
野田智寿子 江川辰夫 | 松尾ただし作品六首批評 | 10 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
松尾佶 | 隣の人…は130番さん | 13 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
江川辰夫 | 入選歌自歌自注 | 14 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
中谷芳治 | 入選歌自歌自注 | 15 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
松尾佶 | 入選歌自歌自注 | 16 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
入選歌二首とお断り | 17 | 1988(昭和63)年3月15日 | |||
野田智寿子 | 入選歌自歌自注 | 18 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
次郎丸よしえ | 入選歌自歌自注 | 19 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
コスモス・県短歌・ゆづき3月号から | 20 | 1988(昭和63)年3月15日 | |||
注目した一首・若井 三青先生とのこと | 21 | 1988(昭和63)年3月15日 | |||
松尾佶 | あとがき | 21 | 1988(昭和63)年3月15日 | ||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第9号 | 1988(昭和63)年7月30日 | |||
中村也寸志 | 歌の意味ということ | 1 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
松尾佶 | 私の辞書 | 3 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
松尾佶 | 江川辰夫作品六首批評 | 4 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
江川辰夫 | 松尾佶作品六首批評 | 7 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
江川辰夫 | 私と短歌 | 10 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
松尾佶 | 御機嫌!とれたての短歌ですという本 | 11 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
江川辰夫 | 俊寛ものがたりと白秋歌碑 | 12 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
古閑正隆 | 入選歌紹介@ | 14 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
中谷芳治 | 入選歌紹介A | 15 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
次郎丸よしえ | 入選歌紹介B | 16 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
次郎丸よしえ | NHK学園短歌・広島大会に出席して | 17 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
松尾佶 | あとがき | 17 | 1988(昭和63)年7月30日 | ||
誌名 | 巻号 | 作者 | 作品タイトル | ページ数 | 発行日 |
こだま | 第10号 | 1988(昭和63)年12月15日 | |||
田中忠雄 | 光短歌会の評価を高めた人々とその作品について | 1 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
松尾佶 | 江川辰夫作品六首批評 | 3 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
江川辰夫 | 松尾佶作品六首批評 | 6 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
TM生 | 「一つの例歌」 | 8 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
江川辰夫 | 島田川をうたう | 9 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
松尾佶 | 若者たちに短歌のスタンスを | 10 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
江川辰夫 | 入選歌自注その他@ | 12 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
岡崎博子 | 入選歌自注その他A | 12 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
酒井綾子 | 入選歌自注その他B | 13 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
稲木正夫 | 入選歌自注その他C | 14 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
石丸登詩代 | 入選歌自注その他D | 15 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
松尾佶 | 同人誌だよりから | 16 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||
2Pよりの続き(光市民大会互選の部) | 17 | 1988(昭和63)年12月15日 | |||
松尾佶 | あとがき | 17 | 1988(昭和63)年12月15日 | ||